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【日経新聞】岩井克人 21世紀と文明「言語・法・貨幣」アーカイブ

岩井克人教授

日本経済新聞 やさしい経済学

21世紀と文明 「言語・法・貨幣と『人文科学』」

  1. 社会的な実体
  2. 人間の本性とは
  3. 人から人への伝承
  4. 自己循環論法
  5. 開かれた社会へ
  6. 「社会である」の意味
  7. 自由と危機

【日本経済新聞】岩井克人教授 「言語・法・貨幣」 -自由と危機

岩井克人教授の「21世紀と文明」 No.7

【 やさしい経済学「21世紀と文明」08.06.10日経新聞(朝刊)】

「言語・法・貨幣と『人文科学』」

7.自由と危機

東京大学教授 岩井克人


言語と法と貨幣は、「自由」の条件である。

言語も法も貨幣も、まさに自己循環理論法の産物であることによって、物理的性質にも遺伝子情報にも血縁地縁にも還元されない意味や権利や価値となり、歴史の中で人から人へと受け渡され、社会の中に蓄積されてきた。

ひとたび人間が言語を媒介として意思を伝達しあう社会の中に生れると、その言語を内面化するようになる。それは、個々の人間の脳の中に自律した意味の宇宙 を作り上げ、物理的世界の構造にも生得本能の命令にも小集団内の秩序にも制約されずに、思考し、判断し、意思決定する自由を与える。

ひとたび人間が法の支配の下に入ると、人間同士の関係は権利と義務の関係になる。それは、個々の人間に他人の権利が及ばない権利の領域を与え、他人と共存しながら自己の目的を追求する自由を与える。

ひとたび人間が貨幣を受け入れると、交換関係は貨幣を介した売買関係になる。それは、個々の人間に価値それ自体を貨幣という持ち運び可能な形で与え、時と処と相手を問わずにどんなモノでも交換しうる自由を与える。

「自由」こそ、人間の本性である。その意味で、言語と法と貨幣はまさに「人間の本性」そのものを形作っているといえるのである。

だが、個人の「自由」の可能性は、同時に、人間社会に「危機」の可能性ももたらす。

なぜならば、言語や法や貨幣を支える自己循環理論法は、まさに物理的性質にも遺伝子情報にも血縁地縁にも根拠を持っていないことによって、しばしば自己目的化したり、自己崩壊したりするからである。

ファシズムとは指導者の言葉に大衆が熱狂することであり、ポピュラリズムとは大衆の言葉しか指導者が語らないことである。官僚主義と法それ自体が物神化さ れることであり、全体主義とは法がイデオロギーの手段でしかなくなることである。恐慌とは人がモノより貨幣を欲することであり、ハイパーインフレとは人が 貨幣から逃走することである。

人文科学が、自然科学や生命科学と同じ科学としての資格を備えているとしたら、それは言語と法と貨幣という社会的な実体を対象としているからである。それ が人間の科学という名にふさわしい科学であるとしたら、それは物理的実体としての人間でも生命物資としての人間でもなく、言語や法や貨幣によって個人にお ける自由の可能性と社会における危機の可能性を同時に与えられた、真の意味での「人間」を扱う科学であるからである。

【日本経済新聞】岩井克人教授 「言語・法・貨幣」 - 「社会的である」の意味

岩井克人教授の「21世紀と文明」 No.6

【 やさしい経済学「21世紀と文明」08.06.06日経新聞(朝刊)】

「言語・法・貨幣と『人文科学』」

6.「社会的である」の意味

東京大学教授 岩井克人

法も貨幣も、どちらが先かは不明だが、言語よりも遅く誕生したことは確かである。

ひとたび法が成立すると、小さな社会の中のむき出しの力関係は、抽象的な権利と義務の関係に置きかわる。他人が私に危害を加えないのは、私のほうが力が強 いからではなく、私の人権を侵害しない義務を負っているからである。私が他人から不当な損害を受けた時、直接仕返しをしないのは、賠償の義務を負わせる権 利をもっているからである。

ひとたび貨幣が流通すると、小さな社会の中の緊密な互恵的関係が、抽象的な価値の交換関係に置きかわる。貨幣とは一般的な交換価値の別名である。貨幣さえ 持っていれば、だれでも欲しいモノを買うことができる。貨幣を受けいれさえすれば、だれでも余ったモノを売ることができるのである。

すなわち、言語の媒介に続いて、法と貨幣の媒介は、同じ権利義務の主体として、同じ交換価値の所有者として、人間と人間が同じ「人間」として関係し合う「人間社会」をさらに拡大していくことになるのである。

もちろん、バベルの塔の神話が描くように、地球には何千もの言語、何百もの法、何十もの貨幣がある。だが、それでも、言語は翻訳を通じて、法は国際条約を通じて、貨幣は外為市場を通じて徐々につながっていく。

もちろん、先進国と途上国の人間との間には、言葉の影響力にも権利の強さにも貨幣の豊かさにも、それこそ天文学的な不平等が存在する。しかし、不平等は異 質性ではない。閉じた小さな社会の一員にとって、外部の人間は異質な存在として、無視するか排除する対象である。これに対し人々が不平等を意識するとき、 それは既に同じ「人間」であることを前提とした比較なのである。

21世紀の今、言語と法と貨幣を媒介とした社会は、まさに開かれていることによって拡大を続け、グローバル化の名の通り、地球全体を覆ってしまった。もは や現在の地球に住む人間で、この巨大社会から独立して生きていける人間はほぼ皆無になってしまった。人間の社会は、すべての人間が同じ「人間」として関係 し合う真の意味での「人間社会」となったのである。

人間とは単なる社会的生物ではない。言語と法と貨幣の媒介によって社会を成立させる社会的生物なのである。従って、言語と法と貨幣は、「人間社会」それ自体を成立させる媒介であるという、本質的な意味で「社会的」であるのである。

【日本経済新聞】岩井克人教授 「言語・法・貨幣」 -開かれた社会へ

岩井克人教授の「21世紀と文明」 No.5

【 やさしい経済学「21世紀と文明」08.06.05日経新聞(朝刊)】

「言語・法・貨幣と『人文科学』」

5.開かれた社会へ

東京大学教授 岩井克人

人類は600万年ほど前に類人猿から分かれた。もともと類人猿は、体重比で比べると他の動物より大きな脳をもっていたが、人類の脳は200万年前からさら に急激に膨張している。それは人類の共同生活が他の動物よりはるかに複雑になり、お互いの意図や感情を常に読みあう必要があったことと強く関連しているこ とが、近年明らかになってきた。

20万年前、アフリカに登場した現生人類は、すでに高度に社会化された生物であった。彼らは脳に蓄えられた社会的本能に導かれて、さまざまな慣習や規範や ルールを作っている。意思の伝達は、顔の表情や身ぶり手ぶり、さらには叫びなどによって行われていたはずである。争いの決着は、力の対決やボスの仲裁など で果たされていたはずである。食物などの交換は、まず相手に与え、お返しをしてくれた相手には与え続け、お返しを拒否した相手には与えないという互恵性原 理に基づいていたはずである。

重要なのは、これが「閉じた」社会であったということである。なぜなら、このように直接的な形で意思の伝達や争いの決着や食物の交換を行うためには、相手 の表情や身ぶりから意図を読み取り、相手が自分より強いかどうか見極め、相手が過去にお返しをしたかどうかを覚えなければならない。そのためには、共に生 活し、お互いを知りあっていることが不可欠である。すなわち、人類は、血縁や地縁で結ばれた、小さな社会の中でしか生きられない社会的生物であったのであ る。

そこに、「言語」が生まれた。5万年前なのか10万年前なのか、不連続な変異なのか連続的な進化によるのかは不明である。確かなことは、言語の成立によって、閉じた社会が少なくとも潜在的に「開かれた」ことである。

言語さえ共有していれば、顔や身体が見えなくても、声を通して意思を伝えられる。いや、声の届かぬ遠くや未来にも、人から人へと伝わる言葉や文字を介して 意思を伝えることができる。言語はまさに「意味」そのものであることによって、まったく見知らぬ話し手と聞き手や書き手と読み手の間でも、意思の伝達を可 能にするのである。そして、ひとたび同じ言葉を話し同じ文字を書きさえすれば、人間と人間は同じ「人間」として意志を通じ合えることになるのである。

すなわち、言語の媒介は、血縁や地縁で結ばれた小さな社会を超えて、人間と人間とがまさに同じ「人間」として関係し合える「人間社会」を生み出すことになったのである。

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