岩井克人教授の「21世紀と文明」 No.6
【 やさしい経済学「21世紀と文明」08.06.06日経新聞(朝刊)】
「言語・法・貨幣と『人文科学』」
6.「社会的である」の意味
東京大学教授 岩井克人
法も貨幣も、どちらが先かは不明だが、言語よりも遅く誕生したことは確かである。
ひとたび法が成立すると、小さな社会の中のむき出しの力関係は、抽象的な権利と義務の関係に置きかわる。他人が私に危害を加えないのは、私のほうが力が強 いからではなく、私の人権を侵害しない義務を負っているからである。私が他人から不当な損害を受けた時、直接仕返しをしないのは、賠償の義務を負わせる権 利をもっているからである。
ひとたび貨幣が流通すると、小さな社会の中の緊密な互恵的関係が、抽象的な価値の交換関係に置きかわる。貨幣とは一般的な交換価値の別名である。貨幣さえ 持っていれば、だれでも欲しいモノを買うことができる。貨幣を受けいれさえすれば、だれでも余ったモノを売ることができるのである。
すなわち、言語の媒介に続いて、法と貨幣の媒介は、同じ権利義務の主体として、同じ交換価値の所有者として、人間と人間が同じ「人間」として関係し合う「人間社会」をさらに拡大していくことになるのである。
もちろん、バベルの塔の神話が描くように、地球には何千もの言語、何百もの法、何十もの貨幣がある。だが、それでも、言語は翻訳を通じて、法は国際条約を通じて、貨幣は外為市場を通じて徐々につながっていく。
もちろん、先進国と途上国の人間との間には、言葉の影響力にも権利の強さにも貨幣の豊かさにも、それこそ天文学的な不平等が存在する。しかし、不平等は異 質性ではない。閉じた小さな社会の一員にとって、外部の人間は異質な存在として、無視するか排除する対象である。これに対し人々が不平等を意識するとき、 それは既に同じ「人間」であることを前提とした比較なのである。
21世紀の今、言語と法と貨幣を媒介とした社会は、まさに開かれていることによって拡大を続け、グローバル化の名の通り、地球全体を覆ってしまった。もは や現在の地球に住む人間で、この巨大社会から独立して生きていける人間はほぼ皆無になってしまった。人間の社会は、すべての人間が同じ「人間」として関係 し合う真の意味での「人間社会」となったのである。
人間とは単なる社会的生物ではない。言語と法と貨幣の媒介によって社会を成立させる社会的生物なのである。従って、言語と法と貨幣は、「人間社会」それ自体を成立させる媒介であるという、本質的な意味で「社会的」であるのである。
岩井克人教授の「21世紀と文明」 No.5
【 やさしい経済学「21世紀と文明」08.06.05日経新聞(朝刊)】
「言語・法・貨幣と『人文科学』」
5.開かれた社会へ
東京大学教授 岩井克人
人類は600万年ほど前に類人猿から分かれた。もともと類人猿は、体重比で比べると他の動物より大きな脳をもっていたが、人類の脳は200万年前からさら に急激に膨張している。それは人類の共同生活が他の動物よりはるかに複雑になり、お互いの意図や感情を常に読みあう必要があったことと強く関連しているこ とが、近年明らかになってきた。
20万年前、アフリカに登場した現生人類は、すでに高度に社会化された生物であった。彼らは脳に蓄えられた社会的本能に導かれて、さまざまな慣習や規範や ルールを作っている。意思の伝達は、顔の表情や身ぶり手ぶり、さらには叫びなどによって行われていたはずである。争いの決着は、力の対決やボスの仲裁など で果たされていたはずである。食物などの交換は、まず相手に与え、お返しをしてくれた相手には与え続け、お返しを拒否した相手には与えないという互恵性原 理に基づいていたはずである。
重要なのは、これが「閉じた」社会であったということである。なぜなら、このように直接的な形で意思の伝達や争いの決着や食物の交換を行うためには、相手 の表情や身ぶりから意図を読み取り、相手が自分より強いかどうか見極め、相手が過去にお返しをしたかどうかを覚えなければならない。そのためには、共に生 活し、お互いを知りあっていることが不可欠である。すなわち、人類は、血縁や地縁で結ばれた、小さな社会の中でしか生きられない社会的生物であったのであ る。
そこに、「言語」が生まれた。5万年前なのか10万年前なのか、不連続な変異なのか連続的な進化によるのかは不明である。確かなことは、言語の成立によって、閉じた社会が少なくとも潜在的に「開かれた」ことである。
言語さえ共有していれば、顔や身体が見えなくても、声を通して意思を伝えられる。いや、声の届かぬ遠くや未来にも、人から人へと伝わる言葉や文字を介して 意思を伝えることができる。言語はまさに「意味」そのものであることによって、まったく見知らぬ話し手と聞き手や書き手と読み手の間でも、意思の伝達を可 能にするのである。そして、ひとたび同じ言葉を話し同じ文字を書きさえすれば、人間と人間は同じ「人間」として意志を通じ合えることになるのである。
すなわち、言語の媒介は、血縁や地縁で結ばれた小さな社会を超えて、人間と人間とがまさに同じ「人間」として関係し合える「人間社会」を生み出すことになったのである。
岩井克人教授の「21世紀と文明」 No.4
【 やさしい経済学「21世紀と文明」08.06.04日経新聞(朝刊)】
「言語・法・貨幣と『人文科学』」
4.人口循環論法
東京大学教授 岩井克人
なぜ私はたんなる空気の振動でしかない「ドロボー」という声が泥棒という意味であると思い、低い柵でしか囲われていない庭の使用はその所有者だけの権利だと思い、一枚の紙切れにすぎない1万円札に1万円の価値があると思っているのだろうか?
それは、他のすべての人間が、その声が泥棒を意味すると思っており、その庭の使用は所有者だけの権利だと思っており、その紙に1万円の価値があると思って いるからである。それだけではない。他のすべての人間がそう思っているのも、それぞれ他のすべての人間が、その声が泥棒を意味すると思っており、その庭の 使用は所有者だけの権利だと思っており、その紙に1万円の価値があると思っているからである。
これは「自己循環論法」である。言語とはすべての人間が言語として使うから言語なのである。法とはすべての人間が法として従うから法なのである。貨幣とはすべての人間が貨幣として受け取るから貨幣なのである。
言語も法も貨幣も、まさにこのような自己循環論法の産物であるからこそ、物理的性質にも遺伝子情報にも還元しえない意味や権利や価値を持ちうるのである。
もちろん、多くの言語は音の響きや文字の形と結びついた意味を持ち、多くの法律は人間が当然従うべき道徳義務に基づき、多くの貨幣は商品としても価値があ る。だが、これらの要因だけでは、言語と法と貨幣とが歴史的に多様な発達をとげ、社会ごとに大きく異なっていることを説明できない。
私は言語や法や貨幣のことを「社会的実体」と呼んだ。それは人間から大きな反応を引き出すという意味で「実体的」である。
だが、それはどういう意味で「社会的」なのだろうか?
第1に、言語も法も貨幣も、それを言語や法や貨幣として用いている社会から切り離されてしまえば、言語でも法でも貨幣でもなくなってしまうからである。日 本語と異なった言語を話す集団ではドロボーと叫んでも誰も振り向いてくれない。日本の法律が及ばない領域では高い柵を巡らせても誰かまわず庭を行き来する だろう。日本経済と取引関係のない人には1万円札は単なる紙切れにすぎない。言語も法も貨幣も、それぞれ特定の社会の中でのみ意味をもち権利を与え価値と なるという意味で、社会的なのである。
そして、社会的であるということには更に深い第2の意味がある。
岩井克人教授の「21世紀と文明」 No.3
【 やさしい経済学「21世紀と文明」08.06.03日経新聞(朝刊)】
「言語・法・貨幣と『人文科学』」
3.人から人への伝承
東京大学教授 岩井克人
人間の本性をめぐっては、長らく環境決定説と遺伝決定説との間で激しい論争があった。遺伝説には人種偏見や性差別などの正当化に悪用されてきた忌まわしい過去があり、いまだに多くの人が拒否反応をしめしている。
もちろん、遺伝研究の結果の多くはまだ仮設にすぎず、また環境要因がすべて否定されたわけではない。だが今、学問に誠実であろうとすれば、遺伝要因の重要性を指摘する生命科学の成果を無視して「人間」を論ずることは、もはや許されなくなったのである。
それでは、人間の本性はすべて遺伝子情報に還元されてしまうのだろうか?
人文科学は、もはやその存在意義を失ってしまったのだろうか。
答えは否である。いや、人間の本性をすべて遺伝子に還元しようとする試み自体が、何が遺伝子に還元しえないかを明らかにする。
まさにここに、言語、法、貨幣が再び登場するのである。なぜなら、人間の遺伝子をいくら調べてみても、その中に言語や法や貨幣を見いだすことはできないからである。
確かに、人間のDNAには言語を操り、法に従い、貨幣を使う「能力」を生み出す遺伝子が蓄積されている。最近、人間の言語能力と密接に関連するFOXP2 という遺伝子が特定されている。人間が道徳意識を遺伝的にもっていることを示す実験結果も数多い。他人の痛みを自分の痛みとして感じるミラーニューロンの 発見は、人間は他人と交感する性向を生得的に持っていることを示している。私たち人間は、まさに本能として、様々の驚くべき能力をあらかじめ脳の中に書き 込まれてこの世に生れてきているのである。
だが、ここで重要なことは、言語や法や貨幣それ自体と、それらを駆使しうる「能力」とを区別することだ。現実にどのような音声や図形の連鎖が言語となるの か、どのような規則や命令が法となるのか、どのような金属片や紙切れが貨幣となるのかは、遺伝子の中に書き込まれているわけではない。
言語それ自体、法それ自体、貨幣それ自体は、生まれたばかりの人間にとっては、社会の中の他の人間によって与えられる「外部」の存在なのである。それは遠い歴史のかなたで誕生し、親から子へと伝達され、社会の中に蓄積されて今日に至っている。
言語・法・貨幣――それらは脳の中に存在しているのではない。脳と脳との「間」、すなわち「社会」の中に存在しているのである。
岩井克人教授の「21世紀と文明」 No.2
【 やさしい経済学「21世紀と文明」08.06.10日経新聞(朝刊)】
「言語・法・貨幣と『人文科学』」
2.人間の本性とは
東京大学教授 岩井克人
福沢諭吉の肖像が印刷された紙切れは、物理的には吹けば飛ぶような実体である。だがそれは1万円の価値を持つ貨幣であることによって、確実に私の歩みを止 めさせる。1万円札が飛んでいった家の庭の柵は、物理的には何の障害にもならない。だが、法律上の所有権の範囲を示すことによって、確実に私の侵入を防 ぐ。家の人が発した大声は、物理的には空気の振動にすぎない。だが、それは「泥棒」を意味する言葉であることによって、確実に私を庭から追い出す。
貨幣と法と言語――それらは価値を持ち、権利を与え、意味となる。それだからこそ、小石につまずくよりも大きな反応を私から引き出すのである。
私は1万円札を見て腰をかがめ、柵を前にして立ち止まり、「ドロボー」という声を聞いて走り出す。もちろん、貨幣である紙切れ、法律上の境界線を示す柵、 言語としての音声の物理的な性質をいくら調べてみても、なぜ私がこのような反応をするのかを明らかにすることはできない。価値も権利も意味も、自然科学の 対象にはないのである。
ここで生命科学者から異議が出るかもしれない。貨幣や法や言語の物理的な性質から、なぜそれが価値を持ち、権利を与え、意味があるのか分からないのなら、逆にそれに反応する生命物質としての私の身体、特にその中の脳細胞を調べればよいのではないか、と。
近年の遺伝研究の進展は驚異的である。それは周知のように、親から子に伝わる遺伝子が、人間の能力や性格や行動に決定的な影響を与えることを明らかにして いる。一卵性双生児の研究は、攻撃性や道徳心や知能水準などの8割近くが、遺伝によって説明できると報告している。養子に関する研究の中には、育ての親の 教育投資や文化環境は、子供の人格形成に長期的には大きな効果を持たないという報告さえある。好奇心やアルコール依存症などを左右する遺伝子さえ特定化さ れ始めているという。
事実いま、人間に関する知識はすべて遺伝学、さらには分子生物学に還元されるべきだと主張する社会生物学や進化心理学が、大きな影響力を持ちはじめている。
人間とは社会的生物である。長い進化の過程の中で、互いに協力して生活するのに有用な遺伝子をDNAの中に多数蓄積してきた。その遺伝子によって脳の中に書き込まれた能力や性格や行動の総体こそ、「人間の本性」に他ならないというのである。